全日空60便・533便(5)

國分秀星 Q.H.P.


『全日空60便・533便』『全日空60便・533便(2)』『全日空60便・533便(3)』『全日空60便・533便(4)』の続きです。 著作権はフォル事務所にありますので、転載・引用の際はご一報ください。

533便の事故から2日過ぎた11月15日の午後、533便の乗客を捜索していた全日空のベル47D1型ヘリコプターと大阪府警のベル47G2型ヘリコプターが正面衝突し、両機の乗員のうち3名が即死、さらに重体で収容された全日空の乗員1名も間もなく死亡した。

当日は事故機の他にも報道関係の飛行機が現場を飛び交っていた。 また、事故を起こした両機は朝から捜索を始め、途中何度か給油のために松山空港へ戻っている。 松山空港から当日533便の事故に関連して離陸した航空機は、捜索や取材のため日の出から日没までと考えれば、月が5度ほど動いただけで他の天体の位置はほぼ同じである。 離陸時の天体位置に大きな違いがないのに、どうして全日空と大阪府警のヘリコプターは他のフライト時ではなくそのときに事故を起こしたのか、またなぜ他の航空機が事故を起こさなかったのだろうか。

まず考えられるのは、時間の経過によって月の状態が変わったことによる違いだろう。 事実、事故機はボイドオブコースの時に離陸している。 だが月がボイドになったのは午前中のことであり、事故を起こした原因のひとつとしてあげることはできるが、他の航空機にも当てはまるので、これだけでは事故機を特定できない。

次に考えられるのはアセンダントルーラーの状態の違いである。 全日空、大阪府警ともにアセンダントがおうしの時に離陸している。 ところが、ルーラー金星はディトリメント、コンバストではあるものの、ベネフィックな恒星アゲナの位置にあり、死者を出すほど悪い状態ではない。 この他、日の出から日没までに上昇するサインのルーラーを見ると、最も状態の悪いのは土星だが、約4時間にわたってアセンダントルーラーとなるため、多くの航空機がその間に離陸したことになり、これも決定的な要因たり得ない。 とすれば残るのはアングルである。

全日空ベル47D1が事故直前に離陸したときのアングルに影響をおよぼすものを探ると、1964年1月の日蝕と事故の前月に起きた月蝕が該当する。
内側から全日空ベル47D1離陸、日蝕(1964/1/14)、月蝕(1966/10/29)
内側から全日空ベル47D1離陸、日蝕(1964/1/14)、月蝕(1966/10/29)

1964年1月の日蝕は約3年9ヶ月にわたって影響力を持つ。 離陸時のMCがその日蝕の位置にあるので、パイロットがその影響を受けたことになる。 またアセンダントは1966年10月の月蝕の位置で、フライトそのものが影響を受けた。 アセンダントとディセンダントの間に障害物が挟まることでアセンダントで月蝕が起きたことになるわけだから、正面衝突の原因は一時的に相手が見えなくなったことにあるのだろう。

大阪府警のベル47D1は全日空機より少し前に離陸している。 そのときのアングル付近で起きた天変を探して、ようやく近いものを見つけたが、やや微妙である。
内側:大阪府警ベル47D1離陸、外側:日蝕(1964/7/9)
内側:大阪府警ベル47D1離陸、外側:日蝕(1964/7/9)

1964年7月の日蝕の影響は約2年5ヶ月におよぶので効果はじゅうぶんにあるが、アングルに対する影響範囲(オーブではない)から少し外れている。 離陸時刻は新聞記事から取ったもので、分の単位までしか書かれていないが、その時刻があと12秒ほど早ければICおよびMCが影響範囲に入るので、単純な誤差として考えて差し支えないかもしれない。

ここで大阪府警のラディックスチャートと当日の管制記録からすべての航空機の離陸について検討するべきなのだが、それには膨大な時間がかかるので割愛する。 しかし、もしすべてを検討したとしても、このように条件が重なるものはおそらく見つからないだろう。 たとえば、大阪府警のヘリコプターが離陸したときのIC(かに18度)は午前11時頃にディセンダントにあったわけだが、1964年7月の日蝕がディセンダントに影響を与える間(時間にして約12分間)に離陸した航空機はなかったはずである。

さて、この項で取り上げた事故がきっかけとなり、日本では翌年からボイスレコーダとフライトレコーダの装備が義務づけられた。 しかしながらレコーダがあっても、日航123便のように事故調査がずさんな場合もある。
各方面からあがった相模湾からの破片回収要求の声を無視しておきながら、事故調は「回収された破片が少ないので尾翼の破壊過程は明らかに出来なかった」などといって、とぼけている。 (*)
誰が見てもおかしな事故調査報告書が提出された結果、ミサイルによる撃墜や隕石落下など怪しげな説がまことしやかに語られる始末である。

これとは逆に、全日空羽田沖墜落事故では事故調よりもはるかに緻密な調査をした山名教授の説(『全日空60便・533便(2)』参照)にも疑問が残る。 別項で引き続き航空機事故について検討してみよう。

2008年5月

* 藤田日出男 『あの航空機事故はこうして起きた』 新潮選書 2005

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  • 『日本航空123便』
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