全日空60便・533便

國分秀星 Q.H.P.


1966年に連続した全日空機の墜落事故についての考察です。 『日本航空123便』『日本航空123便(2)』『日本航空123便(3)』と併せて読んでください。 著作権はフォル事務所にありますので、転載・引用の際はご一報ください。

1966年は日本国内で航空機事故が多発した。 全日本空輸、日本航空、カナダ太平洋航空、BOAC、航空自衛隊、在日米軍などが相次いで事故を起こした上に、事故の犠牲者を捜索していた航空機まで墜落し、同年の航空機事故は30件を超えた。 この中でもっとも注目を集めたのは当時日本航空史上最悪の犠牲者を出した全日空羽田沖墜落事故で、全日空はこの後も鹿児島空港でオーバーランや松山沖墜落事故を起こし、さらに前年から行方不明になっていた全日空の輸送機が南アルプス山中に墜落しているのが発見されたため、岡崎嘉平太氏の経営姿勢に対する批判が政財界からあがり、岡崎氏は翌年代表取締役社長を退任した。 全日空が連続して事故を起こした原因を占星術で探ってみよう。

複数の事故が起きているのだから、全日空の業務開始のチャートに対して複数のマンデンマップからのアフリクトがあったはずである。 1966年の全日空機事故に影響する可能性のあるルナマップは1965年5月の日蝕、11月の日食、12月の月蝕、1966年5月の月蝕と日食、10月の月蝕で、このうち65年11月の日食と12月の月蝕ではルナマップ中の土星が全日空業務開始時のアセンダントに近い位置にある。 これは土星が11月14日にうお10度29分で留になったためで、一度だけでも複数回の事故を意味する表示が2つのルナマップに現れた。 全日空機が連続して事故を起こしたのは短期間に土星の留と日蝕・月蝕が全日空のチャートに関連して起きたことによる。
内側から全日空業務開始、日蝕(1965/11/23)、月蝕(1965/12/9)
内側から全日空業務開始、日蝕(1965/11/23)、月蝕(1965/12/9)

ルナマップだけを見ても、11月の日蝕では緩いオーブながら土星は太陽・月と水星(第3ハウスルーラー)にスクエア、12月の月蝕でも土星は太陽・月とスクエア、第3ハウス・第9ハウスルーラーの木星と水星はそれぞれ逆行でディトリメント、水星と土星がスクエアとなっていて、どちらも航空機事故を示している。 蝕の影響が土星を通して全日空業務開始時のアセンダントに伝えられたことになる。

また、見づらくなるのでチャートは省略したが、1965年5月の日蝕は天王星が全日空のアセンダントにオポジション、冥王星が全日空の水星にオポジションとなっている。 (2つの惑星からのアフリクトとはいえ、トランスサタニアンだけでは大きな事故は起きない。)

次に岡崎社長の出生図とルナマップの関連を見てみる。 岡崎氏の出生地は番地までわかっているのに、全日空の社長就任・辞任のタイミングからアングルを決めようとすると、どうやっても死亡時期が一致しない。 全日空の社長在任中にも数社の取締役を兼任しており、代表取締役にもかかわらず、非常勤のような状態だったためのようである。 そこで結婚、子供の誕生、死亡日時などから出生時刻を推定したところ、全日空と無関係なイベントを使ったにもかかわらず、アセンダントが全日空と180度正反対の位置になった。
内側から岡崎氏、日蝕(1965/5/31)、日蝕(1965/11/23)、月蝕(1965/12/9)
内側から岡崎氏、日蝕(1965/5/31)、日蝕(1965/11/23)、月蝕(1965/12/9)

アセンダントが180度正反対なので、ルナマップの土星が全日空のアセンダントに乗れば、それは自動的に岡崎氏のアセンダントにオポジションとなる。 さらに1965年5月の日蝕は岡崎氏のMC上で、1965年12月の月蝕は第10ハウス中で起きた。

岡崎氏はもともと木星・土星のスクエアをもっている。 木星と土星のアスペクトは政治・経済の分野で成功をおさめた人のチャートによく見られるものだが、岡崎氏の場合は成功をつかんだ後にそれを失うことが表示されている。 1965年11月の日蝕は岡崎氏の土星の上で起こり、同時に木星に対してスクエアになった。 第10ハウスとは直接関係ないが、これも岡崎氏の退任につながった原因と言えるだろう。

つづく

2007年11月

関連アーティクル

  • 『日本航空123便』
  • 『日本航空123便(2)』
  • 『日本航空123便(3)』

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