ホラリーに関する誤解(5)

國分秀星 Q.H.P.

ドロセウス、マシャアラー、ザエル、アリ・アベン・ラゲル、アブラハム・イブン・エズラ、グイド・ボナタス、ジェローム・カルダンと時代を追ってホラリーについて書かれた本を読んでいくと、ドロセウスの時代にはホラリーともイレクションともネイタルともつかない混沌としたものだったのが、ペルシア占星術(マシャアラー“On Reception”)を土台として急速かつ高度に発展し、ザエルの頃(占断例の天体位置から逆算すると824年)にはホラリー占星術の技術は完成、確立されていたことがわかる。 この確立された技術はザエル以降ボナタスまで、ほぼすべて正確に継承されている。 (カルダンだけは特異で、“De interrogationibus”というタイトルにもかかわらず、内容はマンデン占星術である。)

しかし、 『間違った情報(2)』 『ホラリーに関する誤解(4)』 で述べたような誤解、さらには簡略化により、ホラリーの技術は17世紀に激変する。 あまりにも急激に変わったため、17世紀の占星術師たちは意図的に間違ったことを書いたのではないかと疑いたくなるくらいの変化である。 17世紀の占星術師たちがもたらした変動はホラリーに限らず、その後、“Anima Astrologiae”や、“Christian Astrology”のリライトであるザドキエルの“An Introduction to Astrology”が19〜20世紀、そして現在まで再版され続けてきたことによって、“Christian Astrology”の第3版が出版された1985年より以前に書かれた本にですら、17世紀の技術は受け継がれている。 (数冊読んだくらいでは気づかないが、19〜20世紀に英語圏で書かれた本のうち主だったものを50冊ばかり読めば、ほぼすべての技術が継承されているのが分かるはずだ。) 17世紀と20世紀の違いよりも、中世と17世紀との違いのほうがはるかに大きいので、技術的な見地からは17世紀の占星術はモダンである。

そうした変化を、単に時代の流れとして看過するわけにはいかない。 判断を間違えたり、チャートに表示されているものを的確に解釈できないからだ。 その際たるものは“Christian Astrology”で、各ハウスに象徴される事柄についての質問に対する解釈の仕方を説明した Book II の大部分がアリ・アベン・ラゲルとグイド・ボナタスからの逐語訳の引用であるのに、Book II で使われている用語を定義している Book I の内容が、誤解により、アベン・ラゲルやボナタスが使っていたのとは異なる定義になっている。 これで実践しようとすると、正しくチャートを解釈するのは難しいし、つじつまの合わないことが山ほど出てくる。 17世紀イギリスの占星術師たちの誤解を数え上げればきりがないが、一例としてホラリー占星術の最重要事項であるリセプションについて書いておく。

リセプションとは「ディスポジターへのアプリケーション」である。 これはマシャアラー、ザエル、アブ・マシャー、アリ・アベン・ラゲル、アブラハム・イブン・エズラ、ボナタスも、またホラリーに限定しなければアル・ビルニも、まったく同じ意味で使っている。 (すべてのケースを想定してリセプションをみるなら、マシャアラーが使用するリセプションには他とは異なる部分がある。) ところが、ロバート・ハンドが“Liber Astronomiae Part IV” (Project Hindsight) の解説で指摘しているように、ウィリアム・リリーがリセプションと言う場合、それはミューチュアルリセプション、もしくはディスポジターのことであり、中世の占星術師たちが言うリセプションとはまったく異なる。

これは“Christian Astrology”112ページにある定義とそれ以降の占断例(pp. 164, 185-186, 387, 402, 441, 453-454, 471)を見れば明らかで、リセプションとされているものは、月がいて28度で木星がかに14度(p. 387)のように、2天体がディグニティを交換しているときのことを言っているだけで、アプリケーションの有無は考慮されていない。 唯一220ページで太陽:おひつじ20度、金星:おひつじ14度で“the sun receives Venus in his Exaltation”と正しいことを言ってるが、これは偶然だろう。 また、pp. 185-186で書いている“if the Planet who receives be at that time well disposed, let the reception be by any manner of aspect.”というのは正しいのだが、占断例ではミューチュアルリセプションの意味でリセプションと言っている以上、リリーが正しくリセプションを理解していたとは思えない。

アブ・マシャーは“Liber introductorius”で次のようにリセプションを定義している。

“Reception est ut iungatur planeta planete ex domo illius cui iungitur, aut de exaltatione eius vel termino, sive de triplicitate eius vel facie...” (訳:Jean de Seville, 1133)

下線をつけた iungatur(iungo = つながる)はホラリー占星術の文脈では特に断りのない限りアプリケーションを意味し、ラテン語の翻訳ではごく普通に使われている。 アラビア語原文から直接翻訳されたものを読んでも、たとえばスペイン語訳なら “unirse” のような、「つながる」の同義語が訳語としてあてられているので、おそらくアラビア語でもそういう表現なのだろう。 アブ・マシャーの定義を訳すと次のようになる。

リセプションとは、ある惑星が、それがつながろうとする惑星のハウス、イグゾルテーション、ターム、トリプリシティ、フェースから、相手方の惑星につながるときのことである。

アブ・マシャーより前の時代のマシャアラーやザエルも、またリリーが偶像視していたボナタスも、アブ・マシャーと同じ定義をしているのだが、リセプションの例として示されているのは「月がおひつじにあって火星につながるとき」(ザエル)のように、アプリケーションを伴うということがわかりづらい。 先入観があれば、アプリケーションはリセプションから切り離すことができないと理解できるのだが、それを言明しているのは、私の知る限りアブラハム・イブン・エズラだけである。 しかし“Christian Astrology”巻末の蔵書リストにはイブン・エズラの“De interrogationibus”が含まれていない。 アブ・マシャーの“Liber introductorius in astronomiam”はリリーの蔵書リストにあるものの、実は先に引用した一文の後に“et recipiat eum”(そしてそれが受け入れる)と続き、たがいにディグニティを交換すると解釈できなくもない説明になっている。 こうした事情でウィリアム・リリーは“iungo”がアスペクトによってつながるのではなく、ディスポジションによってつながることを意味すると誤解し、リセプション=ディグニティの交換、となったのだろう。

追記(1/8/2007)
その後、“Liber introductorius”の簡略版(“Abbreviation of Introduction to Astrology”, Brill, Burnett/Yamamoto/Yano)を見ていて、アブ・マシャーのリセプションの定義は微妙であることに気づいた。マシャアラー(740-815)、ザエル(9世紀前半)が定義したリセプションは、アルカビティウス(10世紀前半)とアル・ビルニ(973-1048)の時代にはプッシングと呼ばれ、リセプションとは2天体がディグニティを交換しつつアスペクトをもつ状態を指した。これがアブラハム・イブン・エズラ(1089-1167)の時代に再びマシャアラーやザエルと同じ定義に戻っている。

“Christian Astrology”の真価は、まだ英訳されていない本から膨大な引用がなされている Book II にある。 しかしながら、そこで使われている用語の正しい定義を知らなければほとんど役に立たない。 せめて20世紀のホラリーを実践した経験があればプラスアルファにはなるのだが、初心者には得るものが少ないばかりでなく、中途半端な知識とさまざまな制約によって、判断できるはずのものが判断できないということが多々あるはずである。 これは制約の少ない20世紀のホラリーより扱いづらい。 “Christian Astrology”を至上のテキストだと思い込んだり、内容を鵜呑みにしてはならない。

2006年9月
[ Home  |  Articles ]
© 2006 FOL Office. All rights reserved.