陰陽道の金星

國分秀星 Q.H.P.


これは1998年に発表した“Venus in Japanese Astrology”というアーティクルを翻訳し、加筆・修正したものです。 著作権はフォル事務所にありますので、転載・引用の際はご一報ください。

太白、月に入る
陰陽道の占星術はバビロニアの予兆占星術に陰陽五行説が加味されたものである。 西洋占星術の大本は中世アラビア占星術だから、起源となる地域は陰陽道と同じなのだが、成立年代に千数百年の隔たりがあるため、技術体系は大きく異なる。

たとえば陰陽道では金星(太白)も将軍も五行の金に分類される。 ゆえに陰陽師は金星に異常を観測すると、将軍に何かしらの変化が起こると予測し、不測の事態を避けるために謹慎するよう将軍に忠告することもあった。 また現代のホロスコープ占星術では考慮されない現象も判断の対象で、惑星や恒星が月に隠蔽される星食などは日蝕・月蝕に次いで多く記録されている。

久寿2年7月26日深夜、陰陽頭安倍泰親は月による金星の隠蔽を観測し、「月が太白を犯すは天子に悪あり。先帝崩じ給う象か。また母主に悪あり。関白殿の北政所薨ぜられんとする象か。また太子か皇子か」(*1)と占文を奉った。

予兆占星術では判断材料が乏しいため一人に絞りこめず、先例を重視するあまり、同じ現象についての過去の上奏文を書き写すだけで自分は判断を下さないから占断があやふやである。 陰陽師の占文は常にこういう調子なので別段どうということはないのだが、将軍が含まれていないのは妙だ。 月による金星の隠蔽は、史記・天官書に「国を強めてもって戦敗す」(*2)とあるのを初めとして、軍事に関した意味があるのだから、誰かの死去について言うなら将軍が真っ先にあげられるべきだろう。

そこで安倍泰親に代わってこの金星食を考えてみよう。 観測日は1155年8月26日、時刻は隠蔽の開始と終了の中間とする。(*3)

1155年8月26日JC/京都
1155年8月26日JC/京都

東の空で金星が月の下の方に隠蔽されたのがわかる。 金星は第10ハウスのルーラーで、安倍泰親があげた中では「先帝」が該当するが、この星食の3日前に崩御した近衛天皇は無関係だろう。 当時もっとも権力を持っていたのは鳥羽法皇で、皇室に対する個人的な影響力を最大限に利用して朝廷に君臨していた。 この翌年、鳥羽法皇は崩御している。 金星食は鳥羽法皇にどう影響したのだろうか。

鳥羽法皇の出生について、藤原宗忠の康和5年1月16日付の日記に次のように書かれている。
「女御有懐妊事、従去年渡給左少辨顕隆宅也、件宅者五條北高倉西角也、(中略)、子刻平産者」(*4)
堀河天皇の女御藤原苡子が産所としていた五条高倉の藤原顕隆宅で子の刻に無事出産したということで、場所はこれ以上はないほど正確だし、時刻も約2時間の幅にあるのだから、アングルを決めるのは簡単である。

内側:鳥羽法皇出生、外側:金星食
内側:鳥羽法皇出生、外側:金星食

藤原宗忠の日記を見るまでは、金星がアセンダントルーラーか、アセンダントがかに22度なのかと思っていたのだが、そう単純ではなかった。 出生のアセンダントルーラー木星と金星食第6ハウスルーラー土星がコンジャンクトで、明らかに病気を示している。 星食の翌年5月、鳥羽法皇は病に倒れ、7月に崩御した。 それが保元の乱のきっかけとなったのだから、「先帝崩じ給う象」と安倍泰親が言うのと同様に、「太白は兵(いくさ)の象」(*5)も正しいと言える。

太白昼見
金星は内惑星であるため、太陽から48度以上離れることはなく、離角が40度のときマイナス4.4等星で最大光輝となる。 その光度は満月の千分の一でしかないが、スピカやレグルスなどの一等星より100倍も明るいので昼間に見えることもある。 陰陽師はこの現象を太白昼見、あるいは太白経天と呼び、クーデターの予兆と解釈した。 星が昼間見えるのは太陽と明るさを競うことであり、天空の主・太陽への挑戦とみなされたからである。

天平12年、大宰少弐藤原広嗣は失政を糾弾し、右衛士督下道眞吉備(吉備真備)と僧正玄昉を朝廷から排除するよう上奏したが聴許されず、九州の豪族・農民を徴兵し朝廷に対して反乱を起こした。

中央では重職に就けなかったものの、藤原広嗣は内外の学問、天文陰陽に通達していたと言われ、『孝経』からの引用で始まる上奏文の中に次のような一文がある。
「去天平十一年十一月二十七日。太白晝見。在心度。日正午時。見未申上有芒角」(*6)
739年12月31日正午、金星がアンタレスの度数にあり、南西の方角で輝いていたと述べて、吉備真備が国家を覆そうとしていることの根拠としているのだが、実際に反乱を起こしたのは吉備真備でも玄昉でもなく藤原広嗣だった。 この太白昼見がホロスコープ占星術ではどういう意味を持つのか見てみよう。

739年12月31日JC/太宰府
739年12月31日JC/太宰府

上奏文にあるとおり金星は南西の方角でアンタレス(さそり22度12分)に近く、ほぼ最大離角だから晴天であれば金星は見えただろう。 『本朝文集』に収録された藤原広嗣の上奏文には偽作の疑いがかけられているが、実際に起きた天文現象をを踏まえて書かれたことは疑いようがない。

第10ハウスルーラー土星は臣下を表す第11ハウスのルーラーで、第11ハウスカスプに近い天王星とオポジション、第8ハウスの金星とトライン。 結果がわかっているから、これが藤原広嗣の乱を表示しているとすぐに理解できるが、事前に予測するのは難しいだろう。 月は反乱のナチュラルルーラー火星から分離し、天皇のナチュラルルーラー木星へ接近している。 第10ハウスで太陽と水星がコンジャンクト。 水星は法外な野心を意味するアルタイル(やぎ14度13分)の上にあるので、「玄昉が宝位を窺っている」と藤原広嗣が言うのも単なる中傷とは思えない。

太白昼見がクーデターを意味するなら、第8ハウスの金星は藤原広嗣の出生と関連があるはずだが、残念なことに生年月日は不明である。 替わりに藤原広嗣が反乱を起こした年のイングレスマップと重ねてみる。

内側:740年春分/奈良、外側:739年12月31日正午
内側:740年春分/奈良、外側:739年12月31日正午

イングレスマップでは土星はMCに対してオポジションで、アクベンス(かに26度6分)とコンジャンクト。 アクベンスはカニの爪、武器の象徴だから、土星は第11ハウスのルーラーと見るべきだろう。 また金星が第11ハウスにある。 第10ハウスに木星があるものの、第8ハウス/第12ハウスのルーラーであり、マレフィックがアングルを占める不穏なチャートである。

太白昼見の金星は春分のMCにセクスタイル、土星にトライン、太白昼見の土星は春分の太陽にトラインで、この1年間に反乱が起きるとわかる。 春分の後の4月1日に起きた皆既日蝕(おひつじ14度57分)もそれを後押しした。

官軍間諜の工作によって反乱軍からは投降者が相次ぎ、藤原広嗣は新羅へ亡命しようとしたが強風のため接岸できず、九州へ戻ったところを捕らえられ、蜂起から2ヶ月後に処刑された。

2011年9月

*1 藤原頼長 『台記』  http://www.nichibun.ac.jp/~shoji/kojiruien-test/ten/frame/f000072.html
*2 司馬遷 『史記 2』 筑摩書房 1995
*3 斉藤国治 『古天文学の道』 原書房 1990
*4 藤原宗忠 『増補史料大成 第10巻 中右記 2』 臨川書店 1991
*5 班固 『漢書 2』 筑摩書房 1998
*6 黒板勝美(編) 『國史大系 第30巻 本朝文集』 吉川弘文館 2000

関連アーティクル

  • 『占星術の歴史(概観)』
  • 『皇室と占星術』
  • 『ロナルド・レーガン』
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