現代占星学の限界

ロバート・ハンド


これはオリビア・バークレイの著書"Horary Astrology Rediscovered"(Whitford Press)に寄せられたロバート・ハンドによる前書きからの抜粋です。 ロバート・ハンドと出版社の許可のもとに翻訳し、この場で発表します。 ロバート・ハンドは"Planets in Transit"などの著者として有名なアストロロジャーであり、現在、占星術の古典的な文献を翻訳するA.R.H.A.T.の主催者です。 原文の著作権はロバート・ハンドに、出版権はホイットフォードプレス社にあります。 また、訳文の著作権はフォル事務所にありますので、転載・引用の際はご一報ください。
國分秀星 Q.H.P.

占星術は20世紀において変化を体験し、他のそうした変化と同様に、 多くの良いものと一緒にあまり良質といえないものも多くもたらされた。 占星術における最大の変化は、単なる未来予知のツールから、人間の意識を拡大するためのツールとする動き、 すなわち故デイン・ルディアと故マーク・エドマンド・ジョーンズによるヒューマニスティック・アストロロジーである。 この両名と彼らの弟子たちは、古い占星術は現代社会にふさわしくないとみなした。 個人の人生における隠れた宿命を解き明かす占星術を越えるものを求めていたのである。 ほとんどの現代人は、人生を単なる宿命の結果とは認めようとしない。 自分たちの人生を自ら築き上げる責任を強く意識しているのだ。 どうすることもできないような逆境においてさえも、自分たちが生きる環境を作り出すためのエネルギーの 流れを自己の内面に見いだそうとする。 それらと宿命のなかでの創造力を知ることに対する責任を負うため、自分たちのもつエネルギーをより理解する ための占星術を求めていたのである。

この新しい占星術は天体と他の占星術シンボルが、未開化なもの、創造的潜在能力、あるいは、どういう運命をもっているかと 同様にどういった可能性を秘めているのかを表すものとみなした。 古い占星術を、招かざるものを待つ以外に方法のないまま、気まぐれな運命の生け贄を提示するものとみなし、 宿命的だとして拒絶した。 大部分において、新しいヒューマニスティック・アストロロジーは革命であり、前進であった。

しかしながら、いくつかの変化は単に変化のためにだけなされた。 それらは単に無軌道でとりとめのないものである。 そして、こうしたことが起こると必ず、元の軌道に戻るためによりいっそうの変化が求められる。 自分たちに関する新しい展望と宿命との関係を獲得したのと同時に、 古い占星術に含まれていた多くの価値あるものが失われた。私たちはそれを取り戻す必要がある。 それらのほとんどが、占星術の技法によって質問に応えるホラリー占星術のなかに埋め込まれている。

ホラリー占星術は、20世紀における占星術の変遷のなかではっきりした位置をもっていない。 新しい占星術を実践する者の多くにとって、それを先祖返り的な遺物のようなもの、自己の発展を探求する過程での 占いのテクニックにしか見えなかった。 しかしながら、ホラリーは多くの非常に聡明で優れた現代の占星術師たち(たとえば故バーバラ・ワッターズなど)によって実践されてきた。 ヒューマニスティック・アストロロジー運動の一員であったある人物は、ヒューマニスティック・ホラリー・アストロロジー という本のなかで、ホラリーをその運動のなかに取り込もうとさえ試みた。 しかし、現代におけるホラリーの活気にもかかわらず、17世紀初頭のケプラーによる占星術について表現した ものが残されている。 ケプラーは、占星術をその年老いた母親である天文学の「(母親を養うための金銭を稼ぐことで自身を正当化しようとする )ばかな娘」と表現した。 それは多くの者にとって、ホラリー占星術がわれわれに示そうとしているものと、 ヒューマニスティック・アストロロジーの計画との対立のように思われた。

それ以降、1980年代になって、新しい動きが占星術の世界でわき起こった。 それは一見、ある種の反革命、つまり中世とルネッサンス期の古くさい、占いのための占星術に回帰しようとする試みであるかのように見えた。 それは、過剰な現代化に対する反動と、ルネッサンスを通じて太古から受け継がれてきた西洋占星術の古典を学ぶことから成り立っている。 しかし、それは単なる反動というよりも、回帰なのである。 ヒューマニスティック・アストロロジーを教える学校によって切り捨てられたものを取り戻し、 維持するための努力が進行中だ。

他のアストロロジャーたちは、何が問題なのか、また、筆者の見解に関して異なる説明をするかもしれないが、 以下にヒューマニスティック・アストロロジーの限界について述べる。

現代占星術は、ヒューマニスティックな学校だけでなく全体として、未来予知の技法ばかりか、 過去のものと決別してしまっている。 さらに、古い伝統の本当の意味を無視することは、改善のための意識的な努力ど同義であった。 多くの偉大な先人たちが無批判に彼らの先人たちのやり方を踏襲したことを認めて、 現代のかなりの数の占星術師が正反対の極端に走り、深い考えも無しに、完全に伝統を否定する教えを普及させ始めた。 誰もが自由に自分で発明しても構わないと思っていたのだ。 そのすべてが悪いことだったわけではないのだが、さまざまなライターたちのさまざまな意見が占星術という水を濁らせ、 だれもはっきりと見ることができないまでになってしまった。 シンボルを再構築するという危険を冒したことによって、占星術のシンボルはいつも必ずあらゆることを意味するようになった。

この傾向の顕著なものは、現在では彗星であることがわかったキロンの象徴に関した研究である。 キロンは現代の占星術において非常に重要なものであるが、それについて書かれた文献を読むと、 キロンがあらゆるものを象徴していると思えてしまう。 ここでは象徴の厳密さが失われている。 さらに、キロンについての研究は、他の分野におけるシンボルについてなされた研究よりも不完全なものではない。 エゴを象徴するのは太陽なのか、月なのか、MCなのか、はたまたアセンダントか土星か。 現代の文献を読むなら、それらの全てにエゴを見いだすことになる。 しかしながら、エゴという用語の定義を発見することはないだろう。

同様に不鮮明な情報源が他にもある。 底抜けの楽天家がはびこっているのだ!  現代の占星術においては、悪いものは何ひとつないし、常によいものも何ひとつなく、 全てのアスペクトはすばらしいもので、あらゆるものが愛と光なのである。 最高の人生においてすら相当な苦痛があり、ほとんど全ての占星術師が(少なくともプライベートにおいて) それに気づくはずなのに、あらゆるものは必ずしも悪くないし、通常は不快なものを表す数多くのシンボルもあるのだ。

現代の占星術がよく見落とすことのひとつに、あらゆるものが全てのものを意味するなら、 何もなくても何かしら意味するということがあげられる。 まったく象徴に関しての厳密さがないのだ。 現代の占星術が探し求める目標は有意義だが、はっきりとした考えをもっているわけではない。 しかし、ホラリー占星術は現実的な占星術である。 質問は回答を求める。 回答するには厳密かつ論理的にシンボルを解釈する必要がある。 ホラリーは我々に厳密なシンボルをもたらす。 厳密なシンボルによって、本当に信頼でき、役に立つ占星術を構築できるだろう。 だが、厳密なシンボルはコミュニケーションを改善するだけだということに気づかなければならない。 それは人生をより宿命的に見るようにするわけではないのだ。 多くの選択肢を明確にするだけである。

二番目のポイントは最初のものと関連がある。 現代の占星術は非常に抽象的な傾向があることだ。 現代の深層心理学に関する文献、とくにC.G.ユングの研究を占星術師たちは読んできたが、それは悪いことではない。 現代に生きる人間に関連する可能性のある言葉を提供し、 占星術を不可思議と悪評のよどみから本流に戻す見込みがあるからだ。 しかし、それは占星術をあまり意味のはっきりせず、日常的な経験とはかけ離れたものにしてしまった。

私は占星術のなかで現代心理学の用語と考え方を区別して用いることを支持する。 伝統的な占星術があらゆる知識を含み、他の伝統と融合させる意味がないとみなすのは僭越であるが、 それをどのように用いるのかについては注意しなければならない。 深層心理学は、ある人物を内向的で感覚的な性質と表現するかもしれない。 占星術は、他の人を頑固で性急、怒りっぽく、無謀なことをする傾向があると表現するかもしれない。 言葉と人間性はその通りであっても、どちらの表現も物理学者が弾道を説明するやりかたほどは精密ではない。 しかし、後者(占星術師がおひつじまたはアングル上の火星を説明した例)はほとんどの人にとって 非常にわかりやすいのである。 占星術は非常に明確かつ確実な言葉をもっているわけだ。 アカデミックではあるが意味不明に陥る可能性のある新しい言葉とともに、この占星術の強みを失わないように注意するべきだ。

しかしながら、より古い占星術はそれよりもさらに具体的なものだったのだ。 土星は単なる人間のエゴの現れではなかった。 古いもの、退けられたもの、堅牢だが魅力のないもの、骨、歯、岩を意味していた。 地上の低い場所であった。 古い占星術の視点では、あらゆるものが全ての占星術シンボルの記号と関与していたのだ。 我々は、人間の潜在能力開発装置を扱っていただけでなく、我々と我々の意識を一部に含む世界をも扱っていたのだ。 全てのシンボルは直接的であると同時に、耳を傾ければ聞くことができる実在の精神的な次元も示していたのである。

予言(divination)というのは近年顧みられなくなってしまった言葉である。 これは何を意味するのか?  これは、神(the Divine)がなすこと、現実の精神的な支えの状態を知ることを意味する。 それが予言の本来の意味であり、未来を予知することではなく、現在の状況を説明することである。

もし、神秘という言葉を本当に理解するなら、占星術は神秘であるということになる。 唯物主義者はその言葉を使うことを永久にしないだろう。 彼らにとって、神秘とは単なるごまかしであって、混乱と物事の姿を不合理に解釈することの源であるのだ。 神秘とはそれよりもはるかに高尚なことである。 宇宙の外見的な多様性と、あらゆる存在の他のものや自然とのうわべの違いを理解することである。 我々の内面と外部の世界はひとつなのだ。 互いに障壁があったとしても、我々はひとつなのだ。 古い占星術は、金星が庭と同様に我々の内面にもあることを表していたし、 土星が秩序やと権力と同様に地面から掘り出された骨も表していた。 外部の世界に存在するシンボルが我々のプシュケのなかにもあることを示すことによって、 我々とそれがひとつのものであることを表していたのである。 占星術は宇宙がひとつであることを示す日常的な経験なのだ。 そうした宇宙のなかでは、どのように占星術が作用するのかを問う必要はない。 作用しないわけがないではないか。

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