日本航空471便

國分秀星 Q.H.P.


日本航空471便ニューデリー墜落事故についての考察です。 著作権はフォル事務所にありますので、転載・引用の際はご一報ください。

1972年6月14日、東京発ロンドン行き日本航空471便は経由地ニューデリーのパラム空港へ降下中、滑走路手前のヤムナ河でおこなわれていた護岸工事の照明を滑走路の照明と間違え、ヤムナ河の堤防に激突、墜落した。 乗員11名は全員死亡、乗客78名のうち75名が死亡、3名が重傷、さらに護岸工事に従事していた作業員4名が死亡した。

事故直前のルネーションは6月11日の新月である。
1972年6月11日新月(羽田空港)
1972年6月11日新月(羽田空港)

旅のナチュラルルーラー水星と第9ハウスルーラー金星がメンカリナン(β Aur、ふたご29度31分)に極めて近い位置にあり、さらに新月にコンジャンクトしている。 新月は土星を巻き込み、火星がアセンダントにオポジション、第9ハウスに天王星があり、かなり危険な雰囲気である。

このルナマップをパラム空港の緯度経度に移し、日航業務開始時のチャートと重ねると、なぜ事故を起こしたのが日航機なのかわかる。
内側:日航業務開始、外側:1972年6月11日新月(パラム空港)
内側:日航業務開始、外側:1972年6月11日新月(パラム空港)

ルナマップの土星が日航業務開始時のアセンダントルーラー火星に対してスクエアになるのはルナマップの緯度経度がどこであろうと同じだが、パラム空港を基準にするとルナマップのアセンダントは日航業務開始時と同じさそり21度になる。

471便のフライトに影響をおよぼした蝕を探ってみると、1971年7月の日蝕が該当する。 この日蝕は471便出発時の月の上で起きている。 さらに日蝕時の火星は日航業務開始時の月にオポジションである。
内側:471便出発、外側:日蝕(1971/7/22)
内側:471便出発、外側:日蝕(1971/7/22)

この事故の裁判で日航はパラム空港のILS(計器着陸装置)誘導電波の精度の悪さに事故原因があると主張したのに対して、インドの事故調査官は操縦ミスが原因だと主張した。 日航としては海外で起こした初の大事故であり、乗員のミスというのは避けたいところだし、ILSによる原因を認めてしまうと、以後同様の事故が起きた際にインドの責任が問われることになるから、双方の主張はそれぞれの立場が反映されたものであり、必ずしも真実ではない。

事実、日航は事故発生に際して次のような対応をとっている。
事故直後に調査に派遣された二人の機長は、運航本部長から、「まかり間違っても、今回の事故をパイロット・ミスなどということにだけはするな」との「命令」を受けていた。 (*)

審判裁判所の審決は乗員のミスを認めるものとなったが、それは正しいものだろうか。

471便出発時、第10ハウス(機長)にある金星はメンカリナンを通過して6月11日の新月の水星の位置まで逆行してきたもので、1968年9月の日蝕(おとめ29度30分)と1969年3月の日蝕(うお27度25分)からスクエアで損なわれている。 そのことから考えれば、インド側の主張通り操縦ミスが事故の原因とみて差し支えないだろう。

ではなぜアフリクトされているのが第10ハウスのルーラー水星ではなく金星なのだろうか。 471便は羽田を出発した後、最初の経由地バンコクで乗員が交替している。 事故の前日バンコクに滞在していた事故時の乗員について次のような証言がある。
事故機の機長は、バンコクのホテルで客室乗務員とともに徹夜でマージャンをしていた。機長が酒を飲んだかどうかはわからないが、マージャンをした部屋には、空になったウイスキーのビンが二本残されていた。 (*)
正しく金星が象徴する事柄である。

日航はこの事故から半年もたたないうちにモスクワでも墜落事故を起こしている。 次項ではその事故についてみてみよう。

2008年7月

* 山本善明 『日本航空事故処理担当』 講談社 2001

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