ハウスシステム考

國分秀星 Q.H.P.

1997年12月にこのアーティクルを発表してからさらに調べたところ、内容を改めるべきであると判断したため大幅に加筆、修正した。(2000年9月)

古代メソポタミアで行われていた、天変地異から未来を予測する技術がホロスコープ占星術に発展したのは紀元前3〜2世紀のギリシア(地理的には現在のエジプト)においてであり、当然ながらハウスシステムもその頃から使われ始めたことになる。

ギリシア占星術におけるハウスシステムはホールサインハウスで、度数に関係なく、アセンダントのあるサイン全体が第1ハウスであり、以下順番に続くというものだった。 これが現在でもインドの占星術師たちに使われているのは、ギリシアからインドへホロスコープ占星術がもたらされた時には、まだ他のハウスシステムが発明されておらず、インド人がギリシア占星術の伝統を今でも守っているからである。

したがって、インド占星術を見ても分かるように、第10ハウスとはアセンダントのあるサインから数えて10番目のサインのことであり、必ずしもMCが第10ハウスの始まりであったわけではない。 そもそもホロスコープ占星術が成立した当初のチャートにはMCが書き込まれておらず、後代になって徐々にMCが記入されるようになったが、ギリシア人がミッドヘブンという場合は、単にアセンダントのサインから10番目のサインのことを指していた。

ジョージ・ヌーナンが"Classical Scientific Astrology"において、プトレマイオスが住んでいたアレキサンドリアは北緯31度に位置しているため、常に第10ハウスとMCが一致するとは限らないにも関わらず、第10ハウスをミッドヘブンと呼んでいるから、イコールハウスでもホールサインハウスでもないハウスシステムを使っていたのではないかと指摘しているが、これはその後のロバート・ハンドやロバート・シュミットの研究により否定された。 プトレマイオスが『テトラビブロス』で述べているハウスシステムはやはりイコールハウス(ただし5度ずつずれている)だろう。

ギリシア・ローマでイコールハウスがどの程度使われていたのかは不明だが、ファーミカスが"Mathesis"でイコールハウスによる分割方法を述べているから、細々と使われていたはずだと言われている。 しかし、実際に読んでみればわかるが、一見イコールハウスのようではあるものの、ホールサインハウスとも思える節があり、断定はできない。 また、MCは第10ハウスにあり、第11ハウスにある場合もある、とファーミカスは説明しているのだが、第8〜9ハウス(アセンダントから8〜9番目のサイン)にMCが入ることもあるわけで、ファーミカスはこのあたりの知識がどうも怪しい。

またホールサインハウスと同時に、ギリシアでは現在ポーフィリーと呼ばれる分割法が存在していた。 現存するテキストの中でポーフィリーシステムについて述べた最も古いものはベッティウス・バレンスの"Anthology"である。 2世紀に書かれた"Anthology"で既に述べられているのだから、3〜4世紀の人であるポーフィリーがこの分割法を発明したのではないことがわかるだろう。 ベッティウス・バレンスはこれをハウス分割のために使っていたのではなく、天体の影響力の強弱を見るために用いていた。

実はインドの占星術師たちも、ベッティウス・バレンスと同じ目的でポーフィリーを使うのだが、インドの占星術はギリシアからもたらされたものだから別に不思議なことではない。 その使い方は、私たちがハウスカスプとしている各点をハウスの中心とすることと、あくまでも天体の影響力を見るためにだけ使うという点で今日の西洋占星術とは異なる。

ペルシアを経てギリシア占星術がアラブ人に継承されたときも、ホールサインハウスが使われていた。 これは8世紀に書かれたマシャアラーの"On Reception"や"The Astrological History of Masha'allah"を見てもわかる。 ところがアブ・マシャーが"The Abbreviation of the Introduction to Astrology"と"On the Great Conjunctions"においてアルカビティウスを使っていることから、9世紀には少なくともアルカビティウスも使われていたと思われる。 以後、アラビアで伝統的なハウスシステムとして使われ、西ヨーロッパでも、アラビアから占星術が伝えられてから15世紀にレジオモンタナスが普及するまではアルカビティウスがハウスシステムの主流となった。

なお、アルカビティウス(アル・カビシ)は10世紀アラビアの占星術師だが、エジプトでは、このハウスシステムはレトリウスによって5世紀には既に使われていた。 アルカビティウスの本はルネサンス期に西ヨーロッパの占星術師に多く読まれていたため、いつの間にかハウスシステムの名前として定着してしまったのである。

キャンパナスハウスは、各ハウスを分割する基準をプライムバーティカルに求めた点でユニークなものである。 しかし、13世紀に考案されてから、ほとんど使われたことがなく、とくに15世紀にレジオモンタナスハウスが普及して以来、完全に衰退してしまった。 これはハウスシステムとしての優劣が原因ではなく、単にキャンパナスのハウステーブルがなく計算が面倒であったのに対し、レジオモンタナスはハウステーブルが簡単に手に入ったからである。 20世紀に入って、シリル・フェイガンが愛用するようになり、サイドリアルゾディアックを使う占星術師の間で復活した。 フェイガンの使い方は特殊で、先に述べたインドの占星術師のように、ハウスカスプをハウスの中心とする。 しかし、ヒンドゥ占星術とは異なって、あくまでもハウスとして扱っている。 このやり方は「サイドリアル・キャンパナス」と呼ばれている。 フェイガンはオクトスコープという時計回り・8分割のハウスシステムこそ最古で優れたものだと主張したが、実際にはそれを使うことはなかった。

実はキャンパナスハウスを最初に考案したのはキャンパナスではなくアル・ビルニである。 アル・ビルニ自身が自分の創案によるものであると言明しているのだが、あまり重要ではない著作の中でのことであり、この事実が明らかになったのはつい最近のことでしかない。 イスラム支配下のスペインではこのハウスシステムは比較的よく知られていたのだが、キリスト教徒による国土回復運動の際に図書館が破壊されたため、西ヨーロッパではキャンパナスが再び考案することで初めて知られるようになった。

レジオモンタナスハウスは、ハウスを分割する基準を天の赤道に移した点においてキャンパナスの改良型と考えられている。 ところが実際には、プライムバーティカルよりも、天の赤道の方がプライムムーバーに沿ったものであるという理論から生み出されたシステムなので、単にキャンパナスの改良型とか亜流ととらえるのは不当であろう。

しかし、これはプトレマイオスの説明をレジオモンタナスが正しく理解しなかったために生まれたハウスシステムなのである。 試しに『テトラビブロス』の"Length of Life"の章を読んでみるといい。 プトレマイオス自身が簡単ではないと断っている上に、先に述べたように「ミッドヘブン」が単にアセンダントのサインから10番目のサインのことであることを知らなければ誤解するのも無理はないかもしれないが、プトレマイオスはイコールハウスを基に説明しているのが分かる。

しかも、このハウスシステムは11世紀のアラビアに既に存在していた。誰の創案によるものかははっきりしないが、アル・ジャヤーニの著作の中で説明しているものが、現在発見されてるもののなかでは最も古い。

レジオモンタナスハウスは、テーブルの普及とともに当時の占星術師たちから圧倒的な支持を受け、ヨーロッパにおけるハウスシステムの主流となったが、ジョン・パートリッジが17世紀の終わり頃からプラシーダスハウスを使い始め、19世紀にラファエルのエフェメリスにプラシーダスのテーブルが載せられるようになると、アラン・レオという影響力の大きな人が使っていたことにもあって、ハウスシステムの主流はレジオモンタナスからプラシーダスへ移行した。

プラシーダスハウスの特徴はクォドラントを時間によって3等分することであり、空間を分割していたそれまでのハウスシステムとは大きく異なる。 ところがこれも、レジオモンタナス同様に『テトラビブロス』に述べられているハウスシステムを再現しようとした結果生まれた、勘違いのハウスシステムなのだ。 また、ハウスシステムの名称と考案者が一致しないのはプラシーダスハウスにも当てはまる。というのは、実はプラシーダスより500年以上も前にアブラハム・イブン・エズラがこのハウスシステムの計算方法を述べているからだ。

この後、アラン・レオがプラシーダスを愛用していたことに対する反動で、マーガレット・ホーンやチャールズ・カーターがイコールハウスを推奨したために一部に根強い愛用者がいるものの、歴史をたどってみると、ホールサイン、アルカビティウス、レジオモンタナス、プラシーダスが主だったハウスシステムであり、それ以外のものは占星術師たちの支持をあまり得られなかったのである。

1997年12月初出
2000年9月改訂
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