占星術の歴史(概観)

國分秀星 Q.H.P.

古代における占星術とは、日蝕・月蝕、隠蔽、惑星の留・逆行、客星(彗星、超新星)などの天変を観測し、地上に起こる事件を予測するもので、メソポタミアから中国・日本にかけてまったく同じものが普及していた。 メソポタミアにおいて、こうした天変を解釈したものが"Enuma Anu Enlil"にまとめられたのが紀元前10世紀頃と言われているから、かなり古い時代から存在していたことになる。 日本にこの未来予知技術が伝えられたのは602年のことであり、「百済の僧観勒が来朝して暦本、天文・地理書、遁甲・方術書を伝えた」と日本書紀にあるのがそれである。

この段階においては、チャート(俗に言うホロスコープ)どころか12サインすらなく、天変が起きた天空上の位置は恒星からの相対的な距離によって記録された。 つまり、後世の占星術のように、チャート全体ではなく、ひとつの天変を単独で扱っていたわけである。 天に現れる異変は天空を支配する神が、地上の施政者(王、皇帝、天皇)に与える警告であると考えられ、 天変を解釈することで王侯貴族に起きる出来事や自然災害、叛乱などのような社会的な事件を事前に察知しようとしていたのであり、個人の出生(ネイタル)が扱われることはなかった。

黄道12サインが成立したのは紀元前630年から450年頃にかけてのことで、カルデア帝国が存在した時代とほぼ重なる。 当時から木星は吉兆を示す惑星と考えられていたため、木星が黄道を一周する周期、 すなわち12年をひとつのサイクルとして黄道が12等分された。 これが中国に伝わって干支となったわけだが、この時代においては、まだ恒星を起点とした分割方式、すなわちサイドリアルゾディアックが使われていた。

紀元前4世紀後半、マケドニアのアレキサンダー大王によって、インド北西部からメソポタミア、ギリシア、エジプトが統一され、東西文化の融合が行われた。 その結果、メソポタミア以東に古くからあった天変を解釈する未来予知技術がギリシア思想によって理論的な裏付けを得て、さらにギリシア天文学と結びつくことでホロスコープ占星術が成立した。 当然、ハウスシステムが使われ始めたのもこの時代であるが、最初はもっとも原始的なホールサインハウスであったし(ハウスシステムの歴史については『ハウスシステム考』を参照のこと)、 ヒッパルコス(紀元前160年頃)によって春分点の歳差(正確には春分点の後退)が発見されるまではサイドリアルゾディアックだった。

こんにちでもインドでサイドリアルゾディアックとホールサインハウスが使われているのは、インドにギリシア占星術が伝えられた当時の形を守り続けているからである。 インドの占星術師たちは、自分たちの占星術は遙か太古からあったと主張するが、インド占星術における専門用語のほとんどがギリシア語なのだから、すべてがインド独自のものとはとうてい考えられない。 (ちなみに、ルナマンションはインド独自のものである。) いずれにしても、このヘレニズム時代には、インドの占星術を見てもわかるように、ネイタル、マンデン、ホラリー、イレクションの4つの占星術が成立していた。

アレキサンダー大王の死後、その領土は三分したが、ホロスコープ占星術を含むヘレニズム文化はパルティアに受け継がれ、 226年にパルティアがササン朝ペルシアによって滅ぼされた後もインド・メソポタミア・ヘレニズムの諸文明の要素が取り入れられてさらに融合した。 しかし、占星術を発展させたのは651年にササン朝を滅ぼし、メソポタミアに進出してきたアラブ人(イスラム教徒)である。 アラブ人はササン朝の国教であったゾロアスター教関係の文献を破壊したが、ペルシア人がもっていた占星術の知識は受け入れた。

この時代の占星術はギリシアともヒンドゥとも異なるもので、 もっとも顕著な特徴はアスペクトを接近と分離に分け、オーブという概念を持ち込んだことにある。 また、インドの占星術と比較するとわかるのだが、天体がコンバストとなる度数がすべて統一されている点も大きな相違である。 (なお、その名称からアラビア起源と一般に考えられているアラビックパートは本来エジプトのものである。) ヨーロッパでは、ルネサンスによって古代ギリシア・ローマ文化の再生・復活がなされるまで占星術は廃れてしまっていたが、このようにアラブ人によって西洋占星術は保護されてきたのである。

裏返して言うなら、ヨーロッパにおける占星術の流れは一度途切れており、 ルネサンスの時代に東方貿易によって直接、あるいは滅亡したビザンツ帝国から流入した文化人・学者によって間接的にアラビアからヨーロッパに再び占星術がもたらされ、 マシャアラー、アル・ビルニ、アブ・マシャーといったアラビアの占星術師たちの著作がラテン語に翻訳され、多くの人に研究されるようになったのである。 したがって、こんにちの西洋占星術の直接の起源はアラブ時代の占星術にあると言える。

こうして歴史を振り返ってみると、占星術の技法は時代と共に進化してきたことがわかるが、19世紀以降は多くの技法が切り捨てられ、退化してしまった。退化した原因は、人々の関心が人間の内面(心理・性格)を分析することに移行したため、複雑な技法が不要になり簡略化されたからである。しかし、性格分析だけなら初歩的な知識だけでできる(=素人にもできる)ので、それ以上のことができなければプロとは言えない。

冒頭で述べたように、占星術の根底にあるのは天体の動きと地上の出来事の関連を探ることであって、チャートから人間の内面を推察することではない。 ある者たちは、占星術は時代と共に変わっていかなければならないと言うが、その変化が退化、もしくは簡略化であるのはどういうことだろうか。 簡略化するならするで、元の占星術がもっていた体系をじゅうぶんに理解してから行うべきだと私は考える。

1998年7月
[ Home  |  Articles ]
© 1998 FOL Office. All rights reserved.