イギリスでは魔女法により占いが違法とされていたため、20世紀初頭に占星術は未来予知の技術ではなくなり、人間の内面を探る占星心理学へ様変わりした。合理的なバークレイは、抽象的だという理由で占星心理学を受けつけなかったから、その方面の話題は避ける傾向があった。チャールズ・カーターと面識があったというので、話を聞こうと思って水を向けてもいつもかわされたが、カーター・メモリアル・レクチャーで古い占星術について講演したのは皮肉なめぐり合わせだった。
バークレイの活動の目的は心理学や神智学が混じっていない本来の占星術を普及させることだったので、やろうと思えばできたのに、儲けるということをしなかった。私が受講していたときの講座の受講料は300ポンドで、当時のレートで送金手数料を入れても5万円に満たない金額だった。通信講座とはいえ、これは破格の安さだ。さらに信じられない話だが、自分の講座を指導するチューターが受講料を各自の好きな金額に設定することを認めていたし、生徒から受け取った受講料はまるまるそのチューターのものになった。したがって私が生徒から受け取った受講料は1ペニーたりともバークレイに渡していない。
新しいホラリーの講座を作ってほしいという依頼が日本からあった時もバークレイは高額の報酬に目もくれずに断っている。既に自分の講座があるし、それを日本で教えている者がいるから、その者に習ってから自分で作ればいいと突き放した。だが、依頼者が執拗に食い下がったので、バークレイは仕方なくかつて講座を指導していた者に話を振った。その者が新しい講座を作って11,000ポンド(当時のレートで約200万円)の報酬を得たとバークレイから聞いて、作った当人に話を聞いてみると、リリーの本の初歩的な部分を現代語で書き改めて、それの7年間の使用権を売っただけで、講座など作っていないし教えてもいないと言う。聞いていた話と違うし、初期費用に200万円もかけて7年で元が取れるとは思えないので問い詰めていると返信がなくなり、しばらくしてその講座は消滅した。占星術の世界ではこういう不思議なことが起こる。バークレイの周囲も例外ではなかった。
バークレイの講座は「簡単には卒業させない」と自ら公言するほど指導は厳密で、ミスをするとやり直し、同じ個所で何度もミスをするとその時点で退学というポリシーだった。読まなければならないテキストの分量が多いうえに、テキストの内容を正確に理解できなければ課題はできない。英語圏で有名な学校の課題を見たことがあるが、多くの設問が穴埋め式の問題でテキストを斜め読みすればできるものだった。明らかに免状ビジネスだが、占星術の学校はそれが普通だ。バークレイは自分の講座を上級者向けと位置づけていたので、レッスンを分割して初心者向けの講座を別に作って生徒を増やすこともしなかった。
雑誌CREAでバークレイが紹介されると日本からの講座の問い合わせが殺到したが、日本語ができるなら日本人の指導を受ける方が簡単だろうとバークレイは全て私に振ってきた。異常に手間のかかる生徒を抱えていた私に同情して、その生徒は講座をやるレベルではないと憤慨していた者が、180ポンド支払うと言ったとたん自分が引き受けると言い出したのとは対照的だ。CREAにはバークレイの住所が載っていたため、突然訪問する者もいた。見ず知らずの人間が訪ねて来たら追い返すのがイギリスでも普通だが、オープンな性格のバークレイは家に招き入れたそうだ。
ウィリアム・リリーの本をバークレイが手に入れた時、読みたいという人にコピーして配布していた。当時はリリーの本は博物館でしか見ることができなかったからだ。私が占星術を学び始めた1980年頃の東京では著作権無視の翻訳本が数万円で売られているのが普通だったから、コピーを取るのにかかった実費だけで渡していたと聞いた時は耳を疑った。占星術で儲けようと思ったら、知識を売るのが手っ取り早いが、バークレイは知識に値段を付けなかったから、知識を右から左に写しただけで付加価値のない著書を乱造することもしなかった。
リリーの本は元々は4分冊で、バークレイは初版の最初の1冊を除いた3冊を15ポンドで手に入れた。足りない1冊をアシュモレアン博物館(*)から借りて、その3冊と併せて写真製版したものがレグルスから第3版として出版された。知識を独占することもできたが、これは出版しなくてはならないと思ったとバークレイは言っていた。それと同じ頃の日本では、先生方に著書を書く元になった知識の出処を聞いても教えてもらえなかったものだ。指導を受けていた時、バークレイは本に書いていない秘義に属することも惜しみなく教えてくれた。
講座のブローシャーが他の講座のアート紙を使ったものと比べて見劣りがするから新しいものにしたいと言うので、あまり費用が掛からず見栄えのいいものを試しに作って送ったところ、バークレイはそれを非常に気に入ったのだが、それまでブローシャーを作成していた店では同じように再現できなかったので私が作成して送ることになった。対価は払うと言われたが大した費用と手間ではないから辞退した。思ったことをそのまま言う人だったから、あまり厚い紙は嫌だとか、違う色の紙がいいとか、いろいろと注文がついた。
ある時、電話がかかってきて、イベント会場で配布するから大量に送って欲しいと頼まれたので、まち付のEMS封筒が膨らむくらい詰めて送った。イベント終了後、バークレイは「いつもありがとう。あなたはよくアメリカに行くからこれを使って」と100ドルの小切手を送ってきたが、上質紙を使っていたものの100ドルももらうほどのことではなかったから小切手は送り返した。
つづく
2021年8月
* 20年以上前の会話なので記憶があいまいなのだが、ボドリアン図書館と言っていたような気もする。アシュモレアンもボドリアンもオックスフォードにある。