オリビア・バークレイの思い出(1)
國分秀星 Q.H.P.

もっと早く書きたかったのだが、しがらみが多く、これまで何もできずにいた。亡くなってから20年経ち、古い占星術もすっかり廃れて関係者の利害にも影響しなくなったので、記憶に残っていることを書いておく。

オリビア・バークレイとは私が講座の受講を始めた1995年からバークレイが亡くなる2001年まで7年に渡ってかかわった。その間、意見が食い違うこともなく極めて良好な関係を維持できたのはそれだけ相性が良かったということなのだが、人種、国籍、年齢、性別が異なることを考えれば奇跡だろう。バークレイは自分が正しいと信じることには一歩も退かなかったし、私は相手が誰であろうと自分の意見を変えないが、共通する価値観と視点を持ち、お互いに相手の言うことはすぐに理解できたから争うことが全くなかった。

バークレイは合理的な性格で、あいまいな表現や感覚的な意見を受けつけなかった。イギリスの占星術師は自分の考えを述べる時に"I feel ~"と言う人が多いそうで、「自分がそう思うのなら"I think ~"と言えばいいのに」と嘆いていた。感覚と論理という違いがあるものの、個人の意見を述べているという点では同じなのだが、考えた結果の意見なのか、思いつきで言っているのか、そういうところを気にする人だった。

占星術の世界では主観的印象からものを言う者が多いのは事実だ。そうした者たちのアーティクルが掲載されている占星術団体の機関誌などは読むと悲しくなると言って開封せずに鍋敷きに使っていた。相手が根拠もなくあやふやなことを言えば容赦なく攻め立てるところがあったので、苦手と感じる者が多かったのは間違いない。それで多くの者が離れて行った。良い人間関係を維持するために言いたいことを我慢するのはバークレイの生き方ではなかったのだ。

口の悪い者たちはバークレイのことをドラゴンだと陰口を叩いていた。口論になると火を噴くような勢いでしゃべるからだ。私も目撃したことがあるが、それは相手を論破しようとしているのではなく、自分の言うことを相手が理解できないもどかしさに見えた。自分が当たり前だと思うことが相手に全く理解されず、的外れなことばかり言われれば苛立つのも無理はない。複雑で高度な事柄でも瞬時に理解する者の宿命だろう。

バークレイ宅に滞在している時、ある著名な占星術師が訪ねてきた。陰陽道のことを書いた私のアーティクルを読んでいたようで、日本の占星術についてきかれて話していたところ、占星術のスタイルが私やバークレイとは異なるため次第に白熱していき、私がイギリスのアクセントに慣れていないため途中から話についていけなくなると、二人の激論になった。それで黙って見ていると二人から「無口だ」と評された。後から他の人に聞いたところでは、この二人は会えばいつも口論になるそうだが、それで関係が壊れないのは、二人とも個人の意見と人格は別であることを理解していたためだろう。事実、激論の後は皆で食事に出かけた。

このような事実を並べると偏屈な頑固者を想像するかもしれない。だが、バークレイは納得できれば自分とは異なる意見を受け入れたし、間違いに気づけばそれを認めた。占星術をやる者は自己愛が異常に強いために自分の間違いを認めない者が多いが、それとは正反対だった。少しでも名が売れると、自分の無知をさらけ出すのを恥じ、迎合するか無視するかのどちらかだが、自分が知らないことは素直に知らないと言ったし、自分に都合の悪いことでも話を逸らすことはなく、経験年数や年齢を傘に着て相手を言いくるめることも皆無だった。

バークレイの指導を受けていた時、根拠を示さずに答案を書くと厳しくたしなめられた。それで、まだ英訳されていない本に書かれていることや自分の経験から発見したことを基に説明すると、「それは知らなかった。教えてくれてありがとう」と言われた。自分の生徒に対してお礼を言うのは、それまでの私の経験では考えられないことで、特に経験則は否定されることが少なくなかったので、素直にお礼を言われたことに驚いた。

記憶力が良いことにも驚かされた。70代後半ともなれば誰でも物忘れしやすくなるものだが、私が何カ月も前に手紙に書いたことを、書いた本人が忘れているのに指摘されたりした。もちろん自分が言ったことは覚えていたし、やると言ったことは必ず実行した。できもしないことを約束したり反故にする者が少なくない占星術の世界では珍しいことだ。さらに驚いたのは80才になってからパソコンを買ったことだ。それ以前から携帯電話でメールを送ってきたりしていたのだが、さすがに心許ないので基本操作を説明したブックレットをアマゾンで探してバークレイ宅を届け先にして注文した。ところがバークレイは、自分がパソコンを買ったことを知った誰かが送りつけたと勘違いしてそれを捨ててしまった。占星術以外のことには大ざっぱでそそっかしい人だった。

つづく

2021年7月